かつて北陸本線は滋賀県米原から新潟県直江津まで結んでいましたが、北陸新幹線の開業に伴い区間内で第三セクターへの移管が進み、2024年3月の北陸新幹線敦賀延伸後は米原から敦賀までの区間のみと大幅に短縮されました。
全国各地に新幹線が走り出すとそれと並行する在来線は大幅に運行状況が変わります。北陸本線もその例に漏れません。特にかつては”特急街道”とも呼ばれるほど頻繁に特急列車が走っていた華やかな路線だったことがよく知られていますので一昔前には今の姿は想像もできませんでした。
今回は筆者の記憶とかつて国鉄からJR発足後間もない時期に撮影した資料をたどりながら往年の名列車を一部紹介していきたいと思います。
大阪から金沢、富山といった北陸の主要都市を結び、一部は新潟まで足を伸ばしていました。大阪駅に行けば必ずみることができる特急列車のエース的存在で、のちにサンダーバードと名称を変えて北陸新幹線延伸後も関西と北陸の玄関口である敦賀を結ぶ役割を担っています(1988年大阪駅)
大阪と青森を長距離を結んだ伝説的な存在の特急列車。 一日一往復という希少性もあり、大阪駅に停車する姿には独自の風格を漂わせていました。 12時間を超える列車の旅を一度は経験してみたかったものです(1988年大阪駅)
名古屋と北陸主要都市を結ぶ今も走り続ける列車。かつては富山まで足を伸ばしていましたが、北陸新幹線の延伸と共に敦賀までとなりました(1986年金沢駅)
新幹線の停車駅である米原から金沢、富山を結んでいました。後にしらさぎに統合され加越の愛称は姿を消しました(1986年金沢駅)
金沢から東の長岡、新潟を結んでいました(1986年金沢駅)
首都圏と北陸を結んでいました。上野〜金沢間を碓氷峠を越えて6時間半ほどかけて走り抜けていました(1987年上野駅)
大阪~青森、青函トンネル開通後は函館まで走っていた寝台特急。1日二往復で日が暮れかけた大阪駅で出発を待つ姿が旅情を誘いました(1988年大阪駅)
大阪と新潟を結んだ寝台特急。距離が短いこともあり大阪駅は22時過ぎの出発、到着も早朝で写真を撮影するのが大変だった記憶があります(1988年大阪駅)
上野と金沢を上越本線経由で結んでいました(1991年上野駅)
485系,489系といった国鉄色の特急列車がヘッドマークを掲げながら北陸本線を駆け抜けていたのも随分と昔の光景になってしまいました。もちろん今ほどの速達性はありませんでしたが駅弁を食べながら過ごす車内や個性豊かなヘッドマークや行き先表示板に示される遠くの街の名前に心躍らせた日々はいつまでも記憶に残っています。
ブルートレインもなくなる時代が来るとは思いもしませんでしたが、夜行列車は欧州では環境への負荷の少なさから復活傾向にありますので、今やサンライズだけとなってしまった日本でも多様な旅のスタイルの一つの選択肢としてまた走り出す日が来ることを願ってやみません。