”出雲街道”とはかつて姫路から出雲を中国山地を越えて結んだ約250kmにわたる旧街道です。播磨国(兵庫県)、美作国(岡山県)、伯耆国(鳥取県)、出雲国(島根県)の四国を越えていました。
今では鉄道や道路の発達に伴い、数時間で行き来できる距離となりましたが、かつては徒歩による交通手段しかない時代が長く続いていました。
道は舗装されておらず、靴もない時代に多くの旅人たちが自らの足で行き交っていました。今回はこの出雲街道の根雨宿に滞在する機会があり付近を散策する機会に恵まれましたので、その時の記憶を留めておこうと思います。
出雲街道の宿場町|根雨宿
根雨は現在も伯備線の駅があり、その周囲に人々が暮らす山間の集落です。”特急やくも”も多く停車するので伯備線沿線では賑わっている街です。かつては松江藩主が参勤交代の際に宿泊した歴史もあり、往時を偲ばせる街並みも残っています。
今は道路も鉄道も行き交っており、さすがに徒歩で移動をする機会はそうそうないと思いますが、今回街を歩いている時に出雲街道という表記を見つけたので少し辿ってみました。山に入っていく整備された道路の傍にひっそりと舗装はされているものの車一台がやっと通れる程度の道幅の小道が続いていました。
ここを北に進んでいくと次の二部宿に至ります。かつての地図を紐解くと二部宿、溝口宿と続いて米子宿につながるようです。今では根雨と米子の間は特急やくもに乗るとわずか25分程度ですが、往時はこの距離を踏破するだけでも険しい山道を越えて大変だったと思います。実際に出雲街道に足を踏み入れ少し歩いてみましたが、道のりが険しくすぐに息が上がってしまいました。
製鉄の地
そしてかつてこの伯耆や出雲は製鉄の土地として知られていました。
この地では山を崩して得た砂鉄を木炭と一緒に燃やして鉄の塊を作っていました。これは”たたら製鉄”と呼ばれる日本独自の製鉄法です。
今回は工事中で立ち寄れませんでしたが、地図を見るとすぐ近くにはかつて”たたら製鉄”が行われた跡地もあります。
鉄が作られる際に燃え盛る炎や流れ出るノロ(砂が酸素を吸い取ってできた二 酸化ケイ素)から八岐大蛇や鬼退治など、この周辺の地で様々な物語が生まれました。
古の旅を追体験
こうした先人の知恵に想いを馳せながら、歩いて来た道を引き返すと根雨の街並みが見えてきます。
この時、やっと人里に着いたという安心感というかなんとも言えない感覚を覚えましたが、これは簡単に移動できる今の時代だとなかなか感じられないな、とも思いました。
集落が見えた時の感動、整備された道中を移動できるありがたみ、こういったものは今の旅だとつい忘れがちになってしまうかもしれません。つかの間でしたが古の時代の旅を体験できたような貴重な時間を過ごす事ができました。時にはこうして徒歩でかつての街道を歩いてみるのも新たな気づきを得れる経験となるかもしれません。