三種の神器とは草薙剣の他に八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と八咫鏡(やたのかがみ)の二つを合わせたもので、これら三つを持つことが天皇であることの証とされてきました。
三種の神器の所在
現在、三種の神器で宮中にあるものは八尺瓊勾玉のみで、草薙剣は熱田神宮に、八咫鏡は伊勢神宮に祀られていますが、これは第10代天皇とされる崇神天皇が、神器の威力があまりにも強いとのことで、形代を作らせそれを宮中で保管し、オリジナルの三種の神器は八尺瓊勾玉のみを手元におき残りの二つを伊勢神宮に祀ったためです。
その後、草薙剣は日本武尊によって熱田神宮に移りましたので、現在三種の神器は熱田神宮、伊勢神宮、宮中の3箇所に分かれて祀られています。
しかしながら宮中に保管される形代にも神が宿るとされ、オリジナルと同じように扱われています。皇位継承の儀式において、三種の神器を引き渡されますが、この際にはこれら宮中に伝わるものが使用されてきました。
そのため、皇位継承の争いに巻き込まれてきた歴史があります。
壇ノ浦の戦い
最も衝撃的だったのは壇ノ浦の戦いで平清盛の妻、二位尼が幼き安徳天皇を抱いて入水した際に、三種の神器を抱えて海に沈んだ事件でしょう。
この時、八尺瓊勾玉の実物と八咫鏡の形代は、収められていた箱が浮いてきたため回収されましたが、草薙剣の形代は失われてしまいました。
この事件はその後の天皇の即位に大きな影響を与えることになりました。そのため20年以上にわたり海中の探索がなされましたが、遂に発見されることはありませんでした。
後に伊勢神宮に納められていた剣を形代とし、この剣が現在も皇室に伝わっているとされます。
徳島に残る伝承
安徳天皇に関しては、実は生き延びてその後は人里離れたところででひっそりと暮らしていた、という話がいくつか伝わっています。
その中で最もよく知られているのが、徳島県にある祖谷渓(いやけい)です。この土地に平家の落人と共に安徳天皇がたどり着いたという伝承があります。
草薙剣は安徳天皇が持っていて、この地にある山の頂に奉納したとも言われています。剣山(つるぎさん)という山が徳島にありますが、これは安徳天皇が草薙剣を納めたことが山の名前の由来だと言われています。
伝承の足跡を辿る旅へ
三種の神器は天皇であっても見ることが許されていないので、その多くは謎に包まれたままです。
神話と史実の境目も曖昧で、それがまた魅力でもあります。
こうした伝承の足跡を辿る旅も面白いかもしれませんね。